診療所名の由来・「口分田玄瑞」とは

当診の名称の由来となった「口分田玄瑞 くもで げんずい」は前所長である口分田勝の7代前の祖先です。赤穂義士で有名な播州赤穂藩の筆頭藩医を勤めていました。前任の藩医は赤穂義士近松勘六、奥田貞右衛門の祖父近松伊看でした。禄高三百石余りを受けておりましたが、殿中松之大廊下での浅野内匠頭長矩の刃傷事件の前に、老齢のため致仕して赤穂の在に隠居しておりました。以前から大石家とは特に親しく、家族ぐるみで交際をしていました。大石内蔵助は幼少の頃は病弱で、その主治医でもあったとの事です。
前所長の実家の蔵には山科隠棲時代の内蔵助の書状やりく夫人からの手紙が多数残っています。玄瑞以降の祖先も代々医師を職業としてきた経過があり、前所長が開業するにあたり、この祖先の名前を診療所名にしたのです。

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